四天宝寺戦S3に見られる聖ルドルフ戦S2・S3との類似性を検証&考察してみる
『テニスの王子様』の全国大会準決勝シングルス3――不二周助vs白石蔵ノ介は、2017年のファン投票企画『あなたが選ぶテニプリベストゲーム』で3位にも輝いている人気の高い一戦ですが、この試合には意外と気付かれていない大きな“隠し要素”があります。
実はこの試合には、都大会・聖ルドルフ戦のシングルス2(不二周助vs観月はじめ)とシングルス3(不二裕太vs越前リョーマ)の再演とも言えるセルフオマージュ的な描写が多く含まれており、深読みできる要素がザクザクあるのです。
が、その視点でのレビューを私の知る限りでは見たことがないので、比較検証と自分なりの考察をまとめていきたいと思います。
- 不二周助vs観月はじめと不二周助vs白石蔵ノ介との比較
- 不二裕太vs越前リョーマと不二周助vs白石蔵ノ介との比較
- その他のセルフオマージュ
- 越前リョーマの言葉は如何にして不二兄弟に届いたのか
- 個人的な解釈あれこれ
不二周助vs観月はじめと不二周助vs白石蔵ノ介との比較
まずは四天宝寺戦S3に見られる聖ルドルフ戦S2との共通点や、セルフオマージュと思われる部分を一つずつ上げていきます。
①試合前の不二への評価
当初は手塚や越前を注視していて、不二は特に気にしていない観月。
当初は手塚のみを注視していた白石。
白石は試合中に「不二周助…手塚クラスの男や思っててんけど」とも言っているのですが、千歳から忠告されるまでの評価は「青学は手塚さえ抑えとけば」というものだった様子。
観月は、手塚は高く評価し、一年生の越前を警戒する洞察力まで持っていたものの、不二に関しては特別問題視はしていなかった様子です。
②ライバルキャラを評する台詞の類似
「無駄のないテニス」というと、今や白石の代名詞的なフレーズですが、最初にこの言葉で評された元祖は観月です。
確かに、相手の弱点をつくという極めて基礎的な戦略で完璧な筋書きを目指すシナリオテニスor基本に忠実であるが故の完璧さを有するバイブルテニスで、着実に相手を追い詰めていくというプレイスタイルは、観月と白石でどこか似ている気もします。
ついでに言うなら、白石のテニスが「聖書(バイブル)」と称されているのも、ミッション系の聖ルドルフを少し連想してしまいます。
「エクスタシー」も、宗教的な意味を持つ言葉でもありますし、新テニでは悪魔祓い(切原の天使化)もしている白石は、キリスト教的なモチーフを含んだキャラなのかもしれませんね。
③0-5で後がない展開と構図の類似
どこか似ているような構図での演出。
対観月戦と対白石戦は、不二が一方的に0-5まで追い詰められてから猛然と追い上げていくという試合展開の共通点が見られますが、観月戦では“最初から本気ではなく実力を隠してわざと追い詰められるフリをしていた不二”が、白石戦では“本当に追い詰められたことで本気に目覚めて、真の実力が開花する”という対比がなされています。
④相手の弱点をつく台詞の類似
「丸見えですよ」「軌道は丸見えや」という台詞と、相手の弱点を見抜いている――と勘違いしている状況がやや似ています。
ただ、観月はまだ一方的に攻めている状況で打球もここでは決まるのですが、白石はすでに不二に追いつかれつつある中で返球がネットを超えずに驚愕するという場面で、台詞も「丸見え」が同じだけなので、セルフオマージュとしてはやや微妙。
⑤不二が追い上げていく展開と台詞の類似
ついに秘めたる力が覚醒し、形勢が逆転して相手を翻弄していく不二。
36巻320話のサブタイトルになっている『My Time』は、2003年に発売した不二周助のファーストアルバム『eyes』に収録された曲のタイトルを引用したものと思われます。
不二vs観月を連想させる歌詞も含まれている楽曲で、320話では「これも駄目」という観月と類似した白石の台詞の次頁に、扉絵とサブタイトルが来る演出となっています。
この回で一気に不二のスコアが追いつき、覚醒した“無敵モード”の不二と曲の歌詞がリンクしているかのような試合展開を見せくれます。
不二周助(甲斐田ゆき) My Time 歌詞 (j-lyric.net)
⑥乾貞治の反応の相違
観月戦では「不二のデータは取らせてもらえない」と言っていた乾が、白石戦では「不二のデータが取れる」ことを歓喜している。この対比によって、不二の“変化”が窺い知れます。
関東立海戦でも本気の片鱗を見せた不二に対して、乾は「今まで決して取らせて貰えなかった不二のデータ…。今取らないでいつ取るんだ」(25巻)と発言しており、乾のデータの取れ具合によって、不二の本気度が分かるバロメーターにもなっているようです。便利。
⑦決着後の類似と相違
勝者がネット際に立つ前で敗者が地面に崩れている図がどこか似ていますが、双方の試合では、不二の勝敗と立場が逆になっています。
結果に至るまでの不二の精神的・能力的な変化にも大きな違いがあるのは明白で、これも対比的な演出かと思われます。
また、健闘の握手を求める白石には「強いなお前」という、リョーマと握手をした際の裕太と同じ台詞を言わせるという、二重のオマージュがされています。
不二裕太vs越前リョーマと不二周助vs白石蔵ノ介との比較
次に、聖ルドルフ戦S3との類似点・共通点を検証していきます。
①兄弟の台詞と表情の類似
都大会での兄弟の会話にて、越前が強敵であることを伝えた周助に対して裕太がなにげなく返した言葉と、強敵を前に追い詰められた周助が叫ぶ台詞が重なります。
試合前と試合中なのでシーンとしての共通点は薄いのですが、兄弟が対面した場で出た弟の台詞と同じ言葉を兄が言うことには、どうしても意味があるように思えてしまう場面です。
またシーン的な類似としては、叫ぶ周助のアングルと表情が、試合が重大な局面に達した場面での裕太とダブっているようにも見えます。
②必殺技で攻めていく際の台詞の類似
必殺技(ツイストスピンショット)を放つ際の裕太の台詞と、必殺技(百腕巨人の門番)を放ち相手を圧倒していく周助に対して、手塚が言う台詞が被ります。
「これが俺の答えだ」は、不二裕太の代表的な台詞の一つだと認識しているのですが、この象徴的な台詞を、319話で裕太が再登場した直後の流れで手塚に言わせていることから、意図的な演出である可能性が高いと思われます。
ちなみに『百腕巨人(ヘカトンケイル)の門番』のヘカトンケイルとは、ギリシア神話に登場する三兄弟の異形の巨人のことで、ここでも若干の兄弟要素を感じさせます。(※不二家は三兄弟)
ファンブック40.5によると、周助はこの技が完成したとき「小さい頃読んだ神話に出てきた三人の神々を思い出した」とのこと。
「聖書」に対抗するのが「神話」というのも、中ニ感があって燃えるところですね。
③必殺技を返したライバルに驚愕する状況と台詞の類似
ツイストスピンショットをついに攻略した越前に驚愕する裕太。
百腕巨人の門番をとうとう返した白石に驚愕する周助。
必殺技を返され相手に驚く状況の類似が見られる場面で、「なんて奴だ」「なんて男だ」という台詞もすこし被っています。
④終盤の激闘演出と台詞の類似
試合終盤の白熱していく様子が、どことなく似た構図や演出で描かれています。
「とんでもない試合になってきた」「スゴイ試合になってきちょる」という台詞もやや類似。
⑤不二兄弟の成長と対比
真に本気になれる試合を経た不二兄弟には、それぞれ対照的な反応が描かれていることも、特筆したい部分です。
それまで自分を追い詰めて常に険しい表情をしていた裕太は、戦いを通じて楽しそうにテニスをするようになり、敗北後には初めて笑顔をこぼします。
一方、それまで余裕のある笑みを常に浮かべているようなキャラだった周助は、戦いを通じて必死の表情でテニスをし、敗北後は初めて悔しさに項垂れます。
同じ「負け試合」でも真逆とも言える反応を示す兄弟ですが、それぞれが自分の中に大きな変化を体験し、二人が成長を遂げたことを感じさせる名シーンとなっています。
⑥裕太と白石の類似表現
一応こんなものも。
裕太と白石の比較で、試合開始早々に必殺サーブ(ツイストサーブ/消えるサーブ)を受けるも難なく返球する…という状況の類似と、その返球表現として見開きスローモーションの演出を採用している点が、似ている気がしないでもない場面。
もう一つ。試合が劣勢になっても諦めずに食らいついていく際の、状況と台詞がやや類似。ただし、当人か他人が言うかの違いがあり、試合結果も異なります。
セルフオマージュとして見るにはどちらもかなり微妙なところですが、これももしかしたら……という記録として。
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不二vs白石が、聖ルドルフ戦のシングルス二試合を意識して描かれていることはほぼ確実かとは思いますが、どこからどこまでが意図的なのかは神(許斐先生)のみぞ知るなので、考えすぎな部分もあるかと思います。
仮に作者がまったく意図していない偶然の一致だとしたら、逆に凄いですね。
いずれにせよ、一度世に放たれた作品の解釈は読者の自由であるはずなので、多様な読み方が出来そうです。
その他のセルフオマージュ
さらに聖ルドルフ戦以外からのセルフオマージュと思しき場面を比較していきます。
①九州二翼の台詞の類似
作中で不二の試合が初披露となった地区予選・不動峰戦。
天才不二周助のキャラクターを強烈に印象付けた最初の名シーンでの橘の台詞を、全国大会では千歳に言わせることで、不二の原点を想起させています。
白石戦は、トリプルカウンターや消えるサーブなど全ての必殺技がことごとく破られますが、それを新たに進化させることで、不二のこれまでの戦いを総決算させ、さらなる先へと進むような戦いでもあります。
その試合において、天才不二の原点的な台詞を二翼を介して再び言わせることで、不二の進化が新たなステージへと上がった、始まりを示しているようにも思えます。
②不二周助vs越前リョーマとの類似性
『百腕巨人の門番』を幾度も受けて、徐々に攻略していく白石。
あえてコードボールを狙っていく攻略法が、校内練習試合の不二vs越前で見られた『羆落とし』を何度も受けるうちに、わざとネットに球を当てることでカウンター技の攻略を計った越前リョーマと重なります。
不二のカウンターがアウトになる点も類似。
0-5から追い上げるまでのシナリオが観月戦の再演だとしたら、必殺カウンターの攻略に挑んでくる白石との攻防戦は、不二vs越前の再現を含むのではないかと思われます。
校内試合では雨による中断で勝敗はうやむやになりますが、四天戦では白石の勝利で終わります。
③河村隆vs石田銀に見られる再演要素
四天宝寺戦では他に、S2・河村vs石田の一戦で、S3よりもわかりやすい過去試合の再演がされていることにも軽く触れておきましょう。
この試合では、地区予選で対戦した石田鉄の上位互換的なパワープレイヤー・石田銀との対決という、ある意味での“再戦”が行われます。
そして、関東氷帝戦で見せた樺地崇弘との波動球の打ち合いを“再演”し、河村の親友である亜久津も登場するという、河村とっても集大成のような試合です。
また氷帝戦では、河村の波動球は樺地にコピーされる側でしたが、元々は河村の波動球も石田鉄を真似た技。四天戦では、波動球の産みの親である石田銀が登場することにより、コピーvsオリジナルの立場が氷帝戦とは逆転して、河村が元祖波動球への挑戦者となっています。
3試合ともすべて途中棄権という結果も共通。
ですが同じ途中棄権でも、不動峰戦:棄権負け→関東氷帝:ノーゲーム(引き分け)→四天戦:棄権勝ち…と、最後に勝利を掴んで、河村隆のテニス人生を見事に完遂させています。
ついでに一つ。これは関係ないかもしれませんが、四天戦ではタカさんも試合に挑む際に「やってみなきゃわからないよ」という台詞を言います。
もしかしたら、不二のガッツに触発されて、同じ言葉を言ったのかもしれませんね。
越前リョーマの言葉は如何にして不二兄弟に届いたのか
裕太は、天才の兄への劣等感に縛られている、秀才ゆえの苦痛。
周助は、勝敗に執着できず試合に本気になれないという、天才ゆえの苦悩をかかえていました。
対照的とも言えるそれぞれの己の限界に直面していた二人が、自分を大きく変えようとする最初のきっかけとなった出来事は、裕太は、観月はじめとの出会い。
周助は、チームメイトであり青学No.1の手塚国光が、関東氷帝戦でがむしゃらに戦う姿を見たことです。
彼らは二人に、多大な影響を与えています。
そして裕太と周助がそれぞれ迎えた強敵との戦いの中で、越前リョーマの一言が、自分を解き放つ最後の鍵となる――。
不二兄弟は対照的なようでいて、成長過程はどこかで似ている気もします。
リョーマから裕太へは、コンプレックスから解き放ち広い世界へと導く一言を。
リョーマから周助へは、彼の苦悩を見抜いていたかのような一言を投げかけて、周助の闘志に火をつけます。
ここで、不二兄弟それぞれの前に立った時のリョーマがどういう存在なのかを、振り返って考察していきたいと思います。
越前リョーマから不二裕太へ
青学に入学した頃のリョーマは、父親を倒すことだけがテニスをする目的でした。
「プロとか目指してたりするんでしょ?」とカチローに聞かれても「別に」「あんま興味ない」と返答し、未来への目標は持たずにいた様子。
地区予選後。手塚からの挑戦を受けたリョーマは、父以外の強敵に出会ったことで、視野を広げて上を目指すようになります。
一方、都大会での裕太は、兄をただ倒すことに縛られて盲目になっていました。
ルドルフ戦でのリョーマは、少し前の自分と似た状態にある裕太に、兄以外にも強敵がいることを示し、自分を導いてくれた手塚と同じように、裕太を導く役割を担っています。
越前リョーマから不二周助へ
四天宝寺戦の一つ前の試合・全国氷帝戦でのリョーマは、跡部との対決で、手塚vs跡部の再現的な試合を行い、青学の勝利の為に全てをかけて戦うようになります。
激闘に倒れ込んだリョーマは、(不二も含めた)チームメイトから学んだことを思い出し、青学を勝利へと導きます。
四天宝寺戦でのリョーマは、自分と同じように倒れ込んでしまった不二に、奮い立たせる一言を放つことで、先の試合で先輩達の教えに助けられた恩義を果たしているようにも見えます。
(倒れている時のコマも、もしかしたらわざとリョーマと似た演出にしたセルフオマージュかも…?)
そして、本気に目覚めた不二が辿り着いた答えもまた、リョーマと同じ「青学の勝利」。
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つまり、不二兄弟に言葉を投げかけた時のリョーマは、裕太と周助がそれぞれ直面した壁を、その直前に乗り越えていた存在なのですね。
元より圧倒的な主人公力を持つリョーマの言葉は、様々な者に影響を与えていますが、こと不二兄弟の前に立った時のリョーマは、自分自身の体験が先にあったと言えます。
また、地区予選後も全国氷帝戦でも、リョーマが壁を越えるためには、手塚の存在が大きくあったこともポイントでしょう。
個人的な解釈あれこれ
ここからは妄想強めの解釈になるので、読まなくてもいいです。
記事を分けるのが面倒で文字数を気にせずぶっ込んだ限界語りなので、お読みいただける方は話半分な感じでどうぞ。
天才の遠回りな成長
関東大会・対切原戦の不二は、かなり本気に近いところまで眠れる力を引き出して、手塚をきっかけに「チームの勝利」という答えもほとんど出しかけているかのように、端からは見えます。
ですがそこからさらに不二は、橘へ自ら挑戦しに行き、比嘉戦では河村とのダブルスで勝利をおさめ、四天戦でさらなる強敵に当たって、裕太や観月も召喚(?)してから、ようやく天才が真に“覚醒”する時が来る。
褒め言葉として使いますが、非常に面倒くさい天才ですね、不二は。でも本人にとっては、どの過程が一つ欠けてもダメだったのでしょう。
たとえば比嘉戦では、卑怯なラフプレーをする相手に対して、観月の時のような感情にまかせた制裁は与えずに、正々堂々の勝負を平古場から引き出したことも、不二が成長した証しではないかと考えてしまいます。
また、都大会で、リョーマと戦う裕太に向けて言った「本気になれる相手に出会える事が、次のステップにつながる」という台詞は、自分に返ってくる言葉でもあるのですね。
都大会時点では単に雰囲気で言っただけなのか、はたまた本気になれない自分をうっすら自覚していた願望めいた発言だったのかは分かりませんが、不二自身が先の未来で、実感をもってその言葉を体験することになろうとは…。なにか、言霊的なものを感じてしまいます。
類似表現はどちらのキャラ描写として反映されているか
白石戦で見られる観月戦の観月と重なるような描写は、ライバル側の白石に集約しています。
一方、リョーマ的な要素はライバル(白石)側と周助側の両方で見受けられます。
裕太戦の裕太と重なる描写は、一部ライバル側にも見られますが、殆ど周助自身に重ねるように表現されています。
これは、観月はあくまでライバル(敵)として周助の前に立ちふさがる存在ですが、チームメイトのリョーマはライバルでもあり同志でもある存在。そして、幼い頃から一緒にテニスをしてきた血を分けた兄弟の裕太は、ライバルである以上に周助と成長を共にする、表裏一体のような存在ということなのかもしれません。
観月戦を再演させた意味
この試合で観月と裕太は、リアルタイムにして約4年ぶりとなる本編への再登場をはたしています。観月と裕太が白石戦に登場する必然性・重要性は推して知るべしでしょう。
ここまで読み解いていくと、観月の「ホント癪に障りますね、キミのお兄さん」という言葉の意味も、深く理解できるのではないでしょうか。
そりゃ、自分と戦った時にはまるで見せなかった本気の姿をこんな形で見せられたら癪に障りますよね…。
ただ、ここで白石と比較した観月の実力差を嘲笑するのは違うぞ、ということは個人的に主張しておきたいところです。
不二が大きな成長を遂げるためには、観月戦の再演をする必要があったということは、なにかとても象徴的であるように思えます。
単純に、“全国大会までに不二がいかに進化し成長したか”を示す比較対象として分かりやすい試合だったということもあるのでしょうが、それだけではないとも思いたい。
観月は、確かに実力では不二には遠く及びませんでしたが、不二にはなかった「勝ちへの執念」を強く持つキャラです。
テニスでのし上がるために故郷を離れ、手段を選ばないやり方で行きすぎたことも裕太にしてしまいますが、それほどまでに勝利を渇望してきた観月。さらに観月は(都大会時点では)選手よりもマネージャーとして能力を発揮するキャラでもあるため、必然的にチームの勝利を目指していた存在です。
その観月が再登場する試合のテーマとも言えるのが、“不二が勝ちへの執念を知ること”。そして不二が出す答えが“チームの勝利”である意味は、どうしても考えてしまいます。
特に意図的な演出ではないのかもしれませんが、319話で観月が登場する直前のタイミングで、「不二に足りなかったもの。それは勝利への執念」という台詞を竜崎先生に言わせたことに、私は感動を覚えました。
さらにそこで裕太も登場した流れで、手塚の「これがお前の答えか」の台詞が入るという神シナリオ。
勝者のテニス
この試合で勝利したのは不二ではなく白石であったことは、ある種の希望を感じさせます。
全国大会の時点でかなりのインフレが進んでいたテニプリキャラの中では、比較的“普通”に見えるテニスでも、天才に勝てるということを白石蔵ノ介は証明しました。
天才や、派手な技を持つ者が強者として描かれることの多いテニプリにおいて、基本のプレイを極めた者が「強い選手」として描かれたこと。作中屈指の天才キャラが己の限界を超えるための最強の壁としての役割を、彼が担った意義は大きいです。
まだ“普通”のテニスをしていた頃の登場校で、プレイスタイルが(この時点での)白石ともどこか似ている観月や、同じ秀才努力型(ついでにサウスポー)の裕太にとっても、一つの可能性であるような気もします。
新テニのフランス戦では、全ての力を底上げして“オール4のテニスをオール7にする”という方向へ進化したのも、納得度が高いです。
ところでそのフランス戦でも、聖書を『星の聖書』に進化させた白石に向かって種ヶ島が「これがお前の答えか」(新テニ24巻)と言う場面があるのですが、もしかしたらこれも、不二戦から繋がってる的なアレなのかも…?
フランス戦では、不二兄弟が白石のテニスを見て久々に会話をするシーンもあるので、もしかしたら……と穿ってしまいます。
観月と裕太の変化
観月が裕太に危険な技を教えていた件に関しては、原作では当人同士がその後どのように折り合いをつけたのかがハッキリ分からない、という謎があります。
ですが、観月と裕太が二人で、他でもない不二周助の試合を見に来たこと。裕太の手前、不二のことを「キミのお兄さん」と呼び、試合後には「いい試合でしたね」という言葉をかける観月を見るに、おそらく現在は良好な先輩後輩関係を築けていそうな想像ができそうです。
このことから、観月と裕太というキャラにとっても、重要な意味を持つ登場シーンになるかと思われます。
また、「やっぱ兄貴はスゲーよ!」と素直に兄を賞賛し、試合後も兄の敗北に衝撃を受けつつも、「ナイスゲーム!」と声をかけられる裕太からも、かつてのコンプレックスや、兄との確執は解消されて、新たな兄弟関係を築けている事が読み取れる場面でもあります。
不二兄弟の絆
裕太もまた、周助とは(現時点で)実力差の大きなキャラですが、実は裕太のテニスも周助にしっかり影響を与えていることが描かれているのも、白石戦ではないかと思います。
ルドルフ戦では、弟に危険な技を教えていた観月への制裁とはいえ、正しさやスポーツマンシップとは遠い戦い方をして、対戦相手を見下していた周助。
一方で弟の裕太は、それまで絶大な信頼を寄せていた観月の指示に背いてでも、対戦相手のリョーマをリスペクトして、スポーツマンシップに則った真正面からの勝負に挑んでいます。ここでも、兄と弟で実に対照的な姿勢の違いが見られていました。
さらに周助は、ルドルフ戦を経て、リョーマとの対決後に「何故本気で勝ちに行かなかった?」(25巻)と手塚に問われた頃から、“本気になれない自分”に悩み始めてしまう。
不二兄弟は、実力においては兄の方が先へ先へと進んでいきますが、精神面では、都大会でコンプレックスから脱却し、対戦相手に最後まで全力でぶつかっていった裕太の方が、兄よりも一歩先に成長しているんですね。
試合後の握手でも裕太はリョーマを賞賛し「強いなお前」と言っている。その同じ台詞を、白石を介して周助に向かって言わせたこと。それも、かつての観月戦とは逆の、敗者という立場からその握手を受けることは、不二周助というキャラクターにとって大きな意味を持つ場面ではないでしょうか。
不二兄弟というと、裕太の方が兄の背中を追っているイメージが強いですが、実は兄の周助も、ひたむきで真っ直ぐに挑んでいける裕太に対して、ある種の羨望があったのではないかとも、つい想像してしまいます。
白石戦の土壇場で、「やってみなきゃわからないよ!」と、かつて裕太が言った言葉をとっさに叫んだ時の周助には、弟の背中が見えていたのかもしれません。
裕太がずっと敵わなくてはるか先を走っているように思えた兄の周助が、自分自身の殻を破ろうという時に、もし裕太の存在が大きな助けになっていたのだとしたら……などと考えると、オタクの感情が爆発して無意味に走り出したくなります。
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長々書き散らかしましたが、私自身解釈は日々変わっていくので、あくまで現時点でのオタクの叫びとして…。要するに、色んな角度から深読みできるテニプリは最高!的なことを伝えたかっただけです。お付き合いありがとうございました。
↓今回の考察を簡単に(?)まとめたものです。
不二周助が大きな進化を遂げた四天宝寺戦S3の不二vs白石には、聖ルドルフ戦S2・S3の再演的な要素が盛り込まれていて激アツなんやで。…ということが殆ど気付かれないようなので、比較検証&個人的な考察をまとめてみました。 pic.twitter.com/rRqCaJlk6A
— えのこ (@enoco_orz) 2021年7月13日
↓主な出典です。